鑑賞記録(2022.9.10)
公開記念
特別上映
『アリス・ギィ監督短編集』
1898〜1907
@元町映画館
(2日間限定上映でした)
リュミエール兄弟が映画を発明して間もなく、アリス・ギイはフランスのゴーモン社でそのキャメラをつかって、奇想天外でアイデアあふれる物語を語り始めた。世界最初期の映画監督として、クローズアップや着色、音の同期など多くの技法を開発。1907年にアメリカに拠点を移すまでにフランスで400本以上監督したアリス・ギィの短編13作品を特別上映!(本作チラシより)
アリス・ギィ監督短編集 上映作品
全13作品(50分)※すべてフランス・ゴーモン社時代の作品
『催眠術師の家で』Chez le magnétiseur(1898年/1分/白黒)
『世紀末の外科医』Chirurgie fin de siècle(1900年/2分/白黒)
『オペラ通り』Avenue de l’Opéra(1900年/1分/白黒)
『全自動の帽子屋兼肉屋』Chapellerie et Charcuterie mécaniques(1900年/1分/白黒)
『カメラマンの家で』Chez le photographe(1900年/1分/白黒)
『フェリックス・マヨル 失礼な質問』Questions indiscrètes(1905年/3分/染色 → 彩色)
『マダムの欲望』Madame a des envies(1906年/5分/白黒)
『フェミニズムの結果』Les Résultats du féminisme(1906年/8分/白黒)
『キャスター付きベッド』Le Lit à roulettes(1907年/4分/白黒)
『ソーセージ競争』La Course à la saucisse(1907年/5分/白黒)
『ビュット=ショーモン撮影所でフォノセーヌを撮るアリス・ギィ』Alice Guy tourne une phonoscène(1907年/2分/白黒)
『バリケードを挟んで』Sur la barricade(1907年/5分/白黒)
『銀行券』Le Billet de banque(1907年/12分/白黒)
(↑本作チラシ&シネ・ヌーヴォ公式サイト”アリス・ギィ監督短編集”より)
アリス・ギイ
(仏: Alice Guy)またはアリス・ギイ=ブラシェ(仏: Alice Guy-Blaché、1873年7月1日 – 1968年3月24日)
世界で最初に物語映画を監督したフランスの映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。姓はギィまたはギィ=ブラシェとも表記される。映画史上初の女性映画監督であり、映画草創期の1896年から1920年の間に、フランスとアメリカ合衆国で1000本以上の作品を手がけた。物語映画を最初に作った映画監督のひとりでもあり、初期のトーキーやカラー映画を手がけ、特殊効果や現代的な映画演技法を採り入れるなど、映画的技法でさまざまな先駆的な試みを行い、その業績でリュミエール兄弟やジョルジュ・メリエスと並ぶ映画のパイオニアと認められている。
アリスは当初、ゴーモン社社長のレオン・ゴーモンの秘書をしていたが、同社が映画製作を始めるとその製作責任者となり、『キャベツ畑の妖精』(1896年または1900年)、『キリストの生涯』(1906年)、『フェミニズムの結果』(1906年)など幅広いジャンルの作品を監督した。1907年にイギリス人のハーバート・ブラシェと結婚した後に渡米し、1910年に自身の映画会社ソラックス社を設立した。同社は1912年にニュージャージー州フォートリーにスタジオを構え、その地はハリウッド台頭以前のアメリカ映画産業の中心地となった。アメリカ時代にはキャスト全員がアフリカ系アメリカ人の『愚者とお金』(1912年)など意欲的な作品も手がけている。1922年にハーバートと離婚してからは映画製作を行うことはなく、亡くなるまで娘と生活した。長年にわたりアリスの作品や業績は映画史から忘れられていたが、1970年代以降に映画研究者たちから正当な評価を受けるようになった。(ウィキペディアより。冒頭部のみ本作チラシより引用)
パリ郊外に一男四女の末っ子として生まれる。当時、父親は南米チリで出版社と書店を営み、暮らしは裕福だった。アリスは修道院の寄宿学校を経て、速記とタイプを身につける。だが、父親が事業に失敗。ほどなくして父と兄がなくなったために、アリスはパリの写真機材会社ゴーモン社に就職し、レオン・ゴーモン社長の秘書になる。1895年、リュミエール兄弟による世界初の映画『列車の到着』を社長と共に見て、「記録するだけでは退屈、映画で物語をつくったらどうかしら━」と言ったところ、社長は「秘書の仕事に支障がない限り」の条件つきで、ゴーモン社研究所の裏庭での映画作りを許可した。翌1896年、アリスは第一回監督作『キャベツ畑の妖精』を完成させた。世界初の物語映画の誕生である。以降、撮影所長を11年間勤め、1000本近い作品を手掛けた。1907年渡米。1910年映画製作会社<ソラックス社>を発足させると経営は夫に任せ、自分は映画製作・監督に専念。1922年、フランスに帰国。1955年、レジョン・ド・ヌール叙勲。1968年94歳で永眠。(本作チラシより)
感想
先日
を鑑賞し、
これは絶対に観たいと鑑賞。
映画の草創期に出来た
まさに原点である作品たち。
こんな最初から
クローズアップや
カットを割ったり、
逆再生、
染色や音の同期など・・・
お話も
100年先を見越したような
『フェミニズムの結果』みたいに
男女の立場を入れ替えた
ユニークな作品や
『銀行券』ホームレスが
お金持ちを助けてもらった銀行券が
全然信用されないなど
シュールだったり
ドタバタコメディだったり。
『マダムの欲望』では
マダムの食べる顔の
アップが挿入され
音もチュッチュと食べる音が!ww
『フェリックス・マヨル 失礼な質問』は
アリス・ギィ初の
カラー作品だそうで
彩色されている。
さらに歌も付けられており、
これは最初に録音しておいたものを
実際に流しながら口パクの撮影。
しかし、
初の長編トーキー映画とされる
『ジャズ・シンガー』(1927)より
全然前にやってる!
(本作は短く、歌のみですが)
今でこそ、
色々やり尽くされていますが、
始まったばかりのこの時代に
とても工夫して
アイディア溢れる
アリス・ギィ監督。
素晴らしいですね。
ちなみに、
映画セットの中に
ゴーモン社のマークが
(ひまわり?みたいなマーク)
カットごとに入っているのは
この時代は
著作権なんて概念は
まだちゃんとなく
脚本というかお話を
パクるのは当たり前だったそうで
あの会社の新作がこんなのだった!
うちも作ろう!!
みたいな感じで
各映画会社で、
似たようなお話を次々作るのは
当たり前だったことから
自分のところの作品と分かるように
印をつけていた
みたいなことを
『映画はアリスから〜』で
確か言っていたような・・・
と、色々面白く拝見しました。
アリス・ギィ監督は
アメリカに渡った後も
数々の作品を撮っているので
そちらも気になりますね。
もし機会があれば
ぜひ観てみたいです!
(2022年9月14本目。本年度329本目、映画館174本目)
※まとめて1作品とカウント