鑑賞記録(2022.2.19)
カール・テオドア・ドライヤー監督
『怒りの日』1943
@元町映画館
(↑今回のチラシ)
”奇跡の映画
カール・テオドア・ドライヤーセレクション”
にて、上映4作品
『裁かるゝジャンヌ』『怒りの日』『奇跡』『ゲアトルーズ』
19世紀末にデンマークで生まれ、常に独創的で革新的な作品を生み出しながら、一貫して人間、特に女性の心の真髄をフィルムで捉え続けた、孤高の映画作家カール・テオドア・ドライヤー。ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、イングマール・ベルイマンなどの巨匠たちからアルノー・デプシャン、ギャスパー・ノエといった現代の先鋭たちにまで多大な影響を与え世代を超え敬愛されています。79年の生涯で長編14作品を発表、モノクロームの世界を巧みに操り、新たな映画芸術の可能性を示し続けました。今回は、ゴダールが『女と男のいる舗道』で引用したことでも有名な『裁かるゝジャンヌ』と後期3作品がデジタルリマスタリングされ、スクリーンに甦ります。(チラシより抜粋)
今回は、
『怒りの日』を鑑賞。
(鑑賞3作品目)
『怒りの日』1943/97分/デンマーク(デンマーク語)/モノラル/モノクロ・スタンダード(デジタルリマスター版)
陰影を巧みに使ったモノクロームの映像美で、魔女狩りが横行する時代の複雑に絡み合う関係性を映した衝撃作。(チラシより)
劇中で、『怒りの日』という名の歌を、聖歌隊の少年たちが歌っている。
原題
Vredens dag
一言あらすじ
中世ノルウェーの村に暮らす牧師アプサロン(トーキル・ローセ)と、かなり若い後妻アンネ(リスベト・モーヴィン)。アプサロンの母(シグリズ・ナイエンダム)も共に暮らしていたが、アンネのことが気に入らない。そこへ、離れて暮らしていたアプサロンの前妻との息子マーチン(プレベン・レアドーフ・リュエ)が帰ってきた。その頃、近所の老女ヘアロフス(アンナ・スヴィアキア)が魔女狩りで捉えられ・・・
感想
光と影
陰に隠れたり、
光のもとに現れたり
モノクロの美しさが際立つ。
お話は、
中世の魔女狩りが横行する時代。
『裁かるゝジャンヌ』にしてもそうだが
今では考えられないことが
普通に行われた時代。
教会に歯向かう者、
異端である者、
違いを一切認めない、
受け入れない。
人権なんて言葉がなかった時代。
皆がそこに疑問を持たない
(持っていても言えない)というのが
一番怖いと思ってしまうが、
それは今の時代を生きているから、
そう思うのだろう。
私もその世の中に生きていたら
悲しいかな、
同じことになってしまうだろう。
そして同じようにいることが
身を守るひとつの術でもある・・・
おそろしや・・・・
カール・テオドア・ドライヤーの作品は
話のスケールが大きいだけに、
罪とは、人間とは、
愛とは、、など、
毎度考えさせられる。
以下、ちょっと(じゃない??)
ネタばれですが・・・・
慎ましく、幸も不幸もなく
平穏に暮らしていた
一人の若い女が
初めて人を愛することで
人間の欲望のままに振る舞う。
それが悪魔(魔女)的な
行動として見えてしまう。
そして素直すぎるが故に
すべての思いを吐露してしまう。
自分の欲求のままに行動することで
犯してはならない線を越える。
しかし、
犯してはならない線とは??
本当の過ちとは??
何が罪になり、
何に対して罰を受けるのか?
一般的な倫理観でと言ってしまえば
アンネとマーチンの関係は
(後妻と前妻の息子。年齢は近い)
頂けないと思うが
普通ならマーチンの様に
悩むのが自然だろう。
しかしアンネは悩まない。
夫を一度も愛したことなど無かったのだからと。
夫も私を愛したことなど無かったと。
その強固な意志が、
激しさが、
魔女の如く映る・・・
そして、
自らもそれを認める。
邪悪な力を持つ者として・・・・
観終わった後、または後日でも
じっくり考えに耽りたい気分になる
カール・テオドア・ドライヤーの
作品たちです。
(2022年2月20本目。本年度57本目、映画館14本目)
スタッフ
監督・脚本・編集:カール・テオドア・ドライヤー
原作:ハンス・ヴィアス=イェンセン『アンネ・ペーダースドッテル』
撮影:カール・アンダソン 音楽:ポール・シアベック
他
キャスト
アンネ・ペーダースドッテル:リスベト・モーヴィン
アプサロン牧師:トーキル・ローセ
アプサロンの母(メレーテ):シグリズ・ナイエンダム
マーチン:プレベン・レアドーフ・リュエ
ヘアロフス・マーテ:アンナ・スヴィアキア
ラウレンティウス:オーラフ・ウッシング
他