鑑賞記録(2022.1.3)
『田舎司祭の日記』Amazon Prime Video
『民衆の敵』U-NEXT
『田舎司祭の日記』1950/115分/フランス/モノクロ
ロベール・ブレッソン監督、長編第3作。
(『罪の天使たち』『ブルゴーニュの森の貴婦人たち』に次ぐ)
原題
Journal d’un cure de campagne
受賞
1950年 ルイ・デリュック賞(フランスの映画賞)
1951年 ヴェネチア国際映画祭(国際賞、イタリア批評家賞、国際カトリック映画事務局賞、撮影賞)
1951年 フランス・シネマ大賞
一言あらすじ
寒村に越してきた若い司祭が、日々の思いや経験を日記に綴る。司祭は病に冒されており、それを隠して赴任して来るが、村の人々と上手くいかず・・・
感想
正直、、、私には難しかった!!笑
哲学的というか、はたまた、
これは宗教(キリスト教)の教えなのか・・・??
奥行きのある、大きな作品だということは
観ただけで、よくわかる。
しかし、汲み取る側の私の
色々な知識のなさが
深い理解を遠ざける。
これは完全に、また日を開けて再鑑賞が必要。
このような話は、
豊かな知識、考える力など、
多くのものを要求される気がする。
自分の蓄えが大きくなった時、
また、改めて観ることで
その時のタイミングや、状況などで
おそらく感じるものも違ってくるだろう。
そういう作品は、時を経て
また観る価値が大いにあると思う。
(↓以下、ロベール・ブレッソン監督のウィキペディアより)
ブレッソンは芝居がかった演技を嫌い、初期の作品を除き出演者にはプロの俳優の人工的な演技行為の意味や感情をあらわすことをひどく嫌ったため、その作品限りの素人ばかりを採用し、出演者を「モデル」と呼んだ。
音楽はほとんど使用せず、感情表現をも抑えた作風を貫くなど、独自の戒律に基づいた厳しい作風が特徴。
そうした自らの作品群を「映画」とは呼ばずに「シネマトグラフ」と総称した。
素人として参加した出演者の中には(マリカ・グリーン、フランソワ・ルテリエ、ドミニク・サンダ、アンヌ・ヴィアゼムスキー)等、そのまま映画界に留まる者もいる。
(ウィキペディアより抜粋)
とりあえず、ブレッソン監督の
今まで見た2作品(『抵抗』『やさしい女』)含め、
主人公の心情などは、
基本的に主人公のナレーションで語られていて、
セリフとしての口数は少ない。
芝居なんてみたくないわい!!
って感じなんでしょうかね??w
しかし、本当に、
この監督の作品を観ると
映画に台詞はいらないかもなぁ、、、
と、思わされるからすごい。
映画とは、
目線ひとつ、仕草ひとつで
多くのものを読み取れるもの。
(2022年動画鑑賞3本目)
スタッフ
監督・脚本:ロベール・ブレッソン監督
原作:ジョルジュ・ベルナノス
撮影:レオンス=アンリ・ビュレル 音楽:ジャン=ジャック・グリューネンバルト 配給:コピアポア・フィルム
キャスト
クロード・レデュ、ジャン・リビエール、アルマン・ギベール、他
『民衆の敵』1931/82分(U-NEXT版)/アメリカ/モノクロ
原題
The Public Enemy
一言あらすじ
禁酒法時代のアメリカ、不良少年が成長と共に、犯罪組織で台頭していく様を描いたギャング映画。事実を元にしたフィクション。
感想
いわゆるギャングの映画だけど、
抗争は後半だけ。
仕草とかなにかと、
アメリカ感が強い!
(アメリカの映画だから当たり前だけど)
主要人物のキャスト紹介から始まって、
本人(役の)映像ショットとキャスト名、
役名がクレジットされる。
なんだか新鮮。笑。
冒頭、
”作者の狙いは現在のアメリカ社会に存在するある階層を率直に描くことである。
これは決してギャングへの礼賛ではない。なお「民衆の敵」は事実を元にしているが、登場人物名などはフィクションである”
という旨が記される。
ラストにも、
”「民衆の敵」とは特定の人物のことではない。それは社会全体で解決すべき問題である”
と記される。
とは言うものの、
観る方としては、
完全に主人公達の目線で物語を観ていて、
社会的な問題をあまり考えなかった。。。
だからこそ?注釈を付けたのかもしれない。
ラストはまさに
ギャングっぽい終わり方⁉︎
(2022年動画鑑賞4本目)
スタッフ
監督:ウィリアム・A・ウェルマン監督
脚本:ハーベイ・シュウ
原作:キューベック・グラスマン、ジョン・ブライト (元新聞記者2人による未発表の小説『Beer and Blood』)
撮影:デイブ・ジェニングス 編集:エドワード・M・マクダーモット 製作:ダリル・F・ザナック 制作会社&配給:ワーナー・ブラザーズ
キャスト
ジェームズ・キャグニー、ジーン・ハーロウ、エドワード・ウッズ、ジョーン・ブロンデル、ドナルド・クック、他