昨日の鑑賞 小津安二郎監督『父ありき』1942 U-NEXT 【参加したイベント】濱口竜介監督講演会『文学と映画』@ふたば学舎/『タマネギと潜水艦』@神戸映画資料館

j昨日(2021.12.26)の鑑賞

『父ありき』 U-NEXT

 

【参加したイベント2つ】

濱口竜介監督講演会『文学と映画』@ふたば学舎(新長田)

『タマネギと潜水艦 -幻灯、紙芝居、アニメーションにみる戦時統制経済生活』@神戸映画資料館

 

 

 

昨日は昼から

濱口竜介監督の講演会と、

その後すぐに、神戸映画資料館で

『タマネギと潜水艦 -幻灯、紙芝居、アニメーションにみる戦時統制経済生活』

というものを観てきた。

 

外出までに時間があったので、朝から『父ありき』を鑑賞。

時系列的に順番に、記しておこうと思う。

 

『父ありき』(1942)94分/日本/モノクロ(スタンダード)

一言あらすじ

父ひとり、息子ひとり。息子が幼少期から青年になるまでの、父と息子の物語。

 

感想

言わずと知れた、小津安二郎監督の作品。

 

小津安二郎監督作品は、いくつか観ているが、

今回のお話は、父と息子がメインとあって、

ヒロイン的な女性はなし。

(息子の嫁は、後半少しだけ出てくる)

 

小津監督の計算し尽くされた構図は美しく、

画面上にまっすぐ綺麗な線を描いている。

 

素敵だと思ったシーンは、

父が寄宿舎に移る息子に対し、

一つ一つ持ち物を教えてやるところ。

 

その(描き方の)丁寧さに

父が息子を思う気持ちを、とても感じた。

 

スタッフ

監督:小津安二郎

脚本:池田忠雄、柳井隆雄、小津安二郎 製作:磯野利七郎 撮影:厚田雄治 配光:内藤一ニ 美術:浜田辰雄 編集:浜村義康 録音:妹尾芳三郎 音響効果:斎藤六三郎 音楽:彩木暁一 演奏:松竹交響楽団 製作:松竹大船撮影所

キャスト

笠智衆、佐野周二、佐分利信、坂本武、水戸光子、日守新一、西村青児 他

 

 

濱口竜介監督講演会 『文学と映画』@ふたば学舎(新長田)

(↑今回のふたば学舎のチラシ)

 

昨日のメインイベント

濱口竜介監督による講演会が(2時間ほど)

地元神戸の新長田で行われた。

 

しかも、まさかの無料のイベントだった!

 

申込先着順での参加で、

申込開始日すぐに申し込んだので

参加することができた。

 

以下、イベントのお話を少し振り返ってみる。

 

(お話を聴きながら頑張ってメモを取ったが、追いつかないところが多々あって、おっしゃた言葉が正確でないところがあると思うこと、お話を聞いた私の解釈が勝手に入っている部分もあると思うこと、ニュアンスの違いなどあるかもしれませんが、その辺はごめんなさい)

 

 

内容は『文学と映画』から・・・

 

『文学と映画』ということだったが、

濱口監督としては、テーマが重いw

 

とのことで

言葉と映画」「文字と映画」「文字と俳優

というような視点で、講演してくださった。

 

事前に2枚綴りのプリントが配布されており

それは、小津安二郎監督作『晩春』のテキストだった!!

 

(↑配られた、二枚綴りの『晩春』のテキスト一部抜粋プリント)

 

たまたま今朝、

タイムリーにも小津作品を観てきた私は

勝手に感激!!笑

 

 

しかも、たまたま今図書館で『晩春』の入った

小津作品の脚本集を借りているところだった。

(全然読めていないけど・・・)

 

なんたる偶然!!とひとり興奮しながら、講演が始まる。

 

 

映画作りにおける、3つのポイント

1 脚本作り 一番具体的に文字と映画結びつく。(言葉を作るという点で文学と通じるか)

2 脚本に書かれていることを立体的にする 美術やありものを作り替えてフィクションの空間にする。

3 撮影 セリフをそのまま覚えた役者が、それを発する。どんな風に言葉が役者を通していくか。

(もちろん映画作りのには、もっと作業行程はあるが、今回の議題もあって、特にここをフォーカスといったところか。)

 

 

『晩春』における、ある種の異常さ。

優れた名作は、観るだけでは、なぜこんな存在があるのかわからない。

だから、脚本を読む(それでも大概、わからない、とのこと。笑)

 

「この晩春の脚本を読むと、異常なものがある。非常に奇妙な映画」と、濱口監督。

 

私も以前に鑑賞したが、

原節子演じる、紀子のファザコンっぷりに驚愕!笑

 

そんなんなるか〜!?と思うほど、

父を好いており、なんだか奇妙に感じたことを思い出した。

 

濱口監督は、『晩春』における

父に対して娘の感情の異常性を指摘。

しかし、それは原節子の演技(過剰なまでの、テキストに素直な演技)

そう思わせるのだ、と。

 

この28歳の娘が父に対する異常なほどの、激しい感情は一体なんなのか?

 

解釈そのものが揺れる。

その揺らぎを作り出す、曖昧さこそが、

この作品の魅力であり、名作と言われる所以ではないか、

というようなことを、仰っていた。

 

 

さらに濱口監督は、セリフの語尾に注目。

“よ” “の” “わ” “ね”

など、語尾にこれらの言葉をつけるか否か。

(現代では普通は使わないので、ほぼ使えない。)

 

それによって、言葉の意味(ニュアンス?)が変わってくるとのこと。

 

 

一つ、“の”を例を挙げると、

紀子が“の”を多用するセリフの箇所があり、

『〜行きたくない。〜一緒にいるだけでいい。〜愉しい。〜いい。』

と、言う場面。

“の”(NO/発音)という言葉は、ある種の粘着性があり、かつ幼児性がある。

攻撃性は少なく、癒着が感じられる。“よ”よりもディープ。

というようなことを仰っていた。

(他にももっとご説明くださっていたはずだけど・・・)

 

 

このように語尾に使われる言葉を、

一つ一つそれぞれ取り上げ、考察くださった。

 

 

多用される同じ語尾を

脚本家が自覚していないわけがないということで、

一文字に対する大事さについて、

教えていただいた。

 

 

 

感想

そのほかにも、

原節子さんの演技に関することや、

小津安二郎監督と原節子さんのこと、

ある場面の笠智衆さんのまばたきに注目など、

 

濱口監督ならではの視点で、

大変貴重で楽しいお話を聞けて

本当に至福の時間だった。

 

とりあえず、再度『晩春』を観直したい。

本当に有難うございました!!

 

それが終わって、

その足ですぐ近くの、神戸映画資料館へ。

 

 

『タマネギと潜水艦 -幻灯、紙芝居、アニメーションにみる戦時統制経済生活』@神戸映画資料館

(↑神戸映画資料館12月チラシより)

 

今回は珍しい企画で、

戦時統制下に行われた国民教育的に上映された、

幻灯、紙芝居、アニメーション映画を観た。

(※幻灯・・・絵や写真などに光線をあて、レンズで拡大して幕に映し出して見せる、スライド装置。)

 

レクチャー 講師は、鷲谷花さん(映画学、日本映像文化史)

以下の幻灯、紙芝居を実演くださり、最後にレクチャーもしてくださった。

幻灯『無敵海軍』(1942)

紙芝居『経済道義昂揚紙芝居 戦ひの村』(1943)

紙芝居 『経済道義昂揚紙芝居 善兵衛豆腐』(1942)

映画『フクちゃんの潜水艦』(1944/32分/原作・演出:横山隆一)

 

どんどん戦争が激しくなる中で、

国が作ったもの。

 

その時代の価値観というか、

その時の国の考えというか、

独特なものを感じた。

 

こういったものを体験するのは

貴重な経験だと思った。

 

というわけで、とても濃密な一日となった。